草原の輝き/ジャッキー吉川とブルー・コメッツ
1968年。井上忠夫作曲のA面は中央アジアを想起させる壮大なオーケストレーションの曲。キーボードもチェンバロの音を使い、クラシカルに仕上げている。三原綱木作曲のB面はイントロとエンディングがビーチ・ボーイズ風。
夕陽が泣いている/ザ・スパイダース
1966年。浜口庫之助作曲。堺正章、井上順之がボーカル。
廃墟の鳩/ザ・タイガース
1968年。村井邦彦作曲。ジャケットはバッファロー・スプリングフィールドを模している。傑作コンセプト・アルバム「ヒューマン・ルネッサンス」に収録。アイドル的人気だけのバンドではない。B面はムーディ・ブルースを想起するプログレ。
神様お願い!/テンプターズ
1968年。次作の「エメラルドの伝説」もそうだが、松崎由治のギターはグループサウンズの中で特に好きな部類に入る。オリコン2位。
長い髪の少女/ゴールデン・カップス
1968年。かなり歌謡曲に近く、ロックのビート感は少ない。ドラムのマモル・マヌーもボーカルをとる。B面は本来のゴールデン・カップス。ギターとベースが大活躍。
二人だけの渚/ザ・ジャガーズ
1968年。洋楽のカバーであることはわかるが誰のカバーか分からない曲。B面は有名なデイブ・ディー・グループの曲。ムチの音はエレキで代用か。
レッツ・ゴー運命/寺内タケシとバニーズ
1968年。ベートーベンの交響曲第5番、チャイコフスキーの「白鳥の湖」、シューベルトの未完成交響曲、プッチーニのオペラ「蝶々夫人」から「ある晴れた日に」をエレキで演奏。洋楽なら「ベートーベンをぶっ飛ばせ」、邦楽なら「レッツ・ゴー運命」。
真冬の帰り道/ザ・ランチャーズ
1967年。もともと加山雄三と一緒に活動していた慶応大のバンド。独立してGSバンドになり、喜多嶋修のギターを前面に出してヒット。喜多嶋修は喜多嶋舞の父。
小さなスナック/パープル・シャドウズ
1968年。歌謡曲に近い。恋のきっかけがスナックという設定も、若者の感覚とはかなり遠い。
白いサンゴ礁/ズーニーヴー
1969年。町田義人在籍のGSバンド。ギターよりもキーボードが目立つ。B面も「涙のオルガン」。
サハリンの灯は消えず/ザ・ジェノバ
1968年。GSブームで、普通にデビューしたのでは勝ち目がないのでロシア路線を売りにして出てきたグループ。サウンドはロシア民謡を彷彿させるわけではない。
ケメ子の唄/ザ・ジャイアンツ
1968年。ダーツほどはヒットしなかったとはいえ、それでもオリコン6位。はやりのテープの逆回転を多用。B面でもダーツに差を付けられる。
ケメ子の唄/ザ・ダーツ
1968年。オリコン2位の大ヒット。テープの逆回転を使うのはフォークルの影響。B面はかなりいい出来。B面が本来の姿か。
君なき世界/ザ・ビーバーズ
1967年。かまやつひろしの作曲だという。哀愁のメロディ。屈指の名曲だと思っているが、当時は人気があまり出なかった。B面もいい曲。
私がケメ子よ/松平ケメ子
1968年。エレキギターのガレージ度最高。音はGS。当時のヒット曲が歌詞の中に織り込まれている。B面は余計なオーケストレーションが一切ない完全GS。名盤。
バラの恋人/ザ・ワイルド・ワンズ
1968年。この曲からキーボード奏者の渡辺茂樹を加えて5人編成になった。「想い出の渚」でフォーク調のロックをやってグループサウンズを代表する曲になった。
スワンの涙/オックス
1968年。アイドル路線まっしぐらの人気グループ。A面は筒美京平作曲のセリフ入りラブソング。B面は観客の掛け合いを計算に入れたかのようなバンドのテーマ曲みたいなもの。サビで「オックス」を連呼。
この手のひらに愛を/ザ・サベージ
1966年。バンド編成でグループサウンズに入れられるのかも知れないが、曲はフォーク、またはカレッジポップス。寺尾聰がベースで在籍。
いつまでもいつまでも/ザ・サベージ
1966年。デビュー盤。ロンドンでレコーディングした日本で最初のポップスアーティストだという。
野バラ咲く路/市川染五郎
1967年。サウンドは当時流行していたグループサウンズ。実際の売りはミュージカル音楽のB面。布施明に似た歌い方。
栄光の朝/フィフィ・ザ・フリー
1969年。すばらしいコーラス。日本ソフトロックの傑作。村井邦彦作曲。
愛する君に/ゴールデン・カップス
1968年。4枚目のシングル。キーボードでミッキー吉野が加入。ジャケットはケネス伊東を含まず、ミッキー吉野を含む5人だが、裏ジャケットは6人。派手にホーンセクションが鳴る曲。間奏は早くもミッキー吉野のソロを挿入している。
それはキッスで始まった/ジャッキー吉川とブルー・コメッツ
1970年。間奏にトランペットソロを挿入。すでに歌謡曲路線に入っていたころのシングルだが、この曲はハード。
太陽野郎/バニーズ
1967年。ギターは寺内タケシ、ボーカルは黒沢博、キーボードは荻野達也。両面ともいずみたく作曲。作詞はA、B面で違うが両面とも偶然太陽に関する曲。
太陽の花/バニーズ
1968年。グループサウンズの中でも圧倒的にハードでスピーディーな曲。寺内タケシはすごい。コーラスもすばらしい。ギターのメロディーはホリーズの「バス・ストップ」か。
帰り道は遠かった/チコとビーグルス
1968年。ピンキーとキラーズを意識したようなファッション。サウンドも似ている。ギターは元ジェノバ。作詞は藤本義一。
アリゲーター・ブーガルー/ザ・ホワイト・キックス
1968年。三保敬太郎とザ・サベージの寺尾聡らが結成したグループ。ボーカルは女性。フルート奏者がいる。ブーガルーはこのころさかんに出たニューリズムの一種。
花・太陽・雨/PYG
1971年。タイガースの沢田研二、岸部修三、テンプターズの萩原健一、大口広司、ブルー・コメッツの井上孝之、大野克夫が結成したニューロック・グループ。アートロックかプログレか、というような緊張感のある音。長続きしなかったが先鋭的だった。
危険なふたり/沢田研二
1973年。ワイルド・ワンズの加瀬邦彦作曲。70年代に怒濤のヒット曲を並べる。初のオリコン1位。音楽を続けたGS関係者では最も成功した人。
バタフライ/シローとBread&Butter
1971年。岸部シローは一時的にブレッド&バターと活動しシングル2枚とアルバム1枚を作った。このシングルは「野生の馬」に続く最後のシングル。
ふるさと/タローとアルファベッツ
1971年。森本タローはバンドを結成し、デビューするがあまりヒットせず、やがて音楽業界の裏方に回る。フォークタッチの歌謡曲。
花の世界/加橋かつみ
1969年。この手の音をソフトロックと呼べるのかどうかは分からないが、普通の歌謡曲には聞こえない何かがある。
色つきの女でいてくれよ/ザ・タイガース
1982年。解散10年後にメモリアル・クラブ・バンドとして再結成された。「十年ロマンス」発表後のセカンドシングル。加橋かつみがメインボーカル。サビのコーラスはいい。森本太郎作曲。B面は沢田研二作曲。
十年ロマンス/タイガース
1981年。解散10周年記念で再結成。沢田研二作曲。B面は加橋かつみ作曲。
下宿屋/森田公一とトップギャラン
1975年。作曲家の森田公一とスタジオミュージシャンのバンド。男5人女1人。女性はパーカッション担当。ギターが元スケルトンズだったような気がする。今は森田公一が抜けてトップギャランとして活動し、キーボードはシュガーの笠松美樹になっている。
過ぎてしまえば/森田公一とトップギャラン
1977年。両面ともあか抜けないというか、はじけない。
時代遅れのラブ・ソング/サーフ・ライダーズ
1977年。ギター4人、パーカッションを含め7人編成。コーラスに重点を置き、ビーチ・ボーイズやドゥービー・ブラザーズのような音楽を追求する。ボーカル兼ギターの植田芳暁は元ワイルド・ワンズ。
雪が降る/マモル・マヌー
1970年。ゴールデン・カップスのドラマー。演歌でソロ・デビュー。このシングルはアダモのカバー。
昨日・今日・明日/井上順之
1971年。スパイダースの井上順之。ホーンセクションを使ったなじみやすいポップス。イントロは小林旭の「自動車ショー歌」。でもいい曲。「お世話になりました」もすばらしい。
でも、何かが違う/鈴木ヒロミツ
1975年。モップスのボーカル、鈴木博三。テレビ番組の主題歌。作詞、作曲がフリーのボーカリストであるポール・ロジャースの妻、マチ・ロジャースであることが最大のポイントか。
黄色いワーゲン/サーフ・ライダーズ
1977年。ワイルド・ワンズの植田芳暁が結成したビーチ・ボーイズ風グループ。本家に迫るコーラスを駆使している。
キッスは目にして!/ヴィーナス
1981年。ドラムは元ヤンガーズ。ベートーベンの「エリーゼのために」のメロディを使っている。もともとはオールディーズをやるグループで、アルバムでもミーナの「砂に消えた涙」とかコニー・フランシスの「カラーに口紅」などをやっている。したがって、ベートーベンというよりは、ピーナッツの「情熱の花」のカバーといってもよい。B面はREOスピードワゴンの「涙のレター」に似ている。
野性の証明のテーマ「戦士の休息」/町田義人
1978年。町田義人は元ズーニーブー。ヒットした。
誓いの明日/タイガース
1970年。クニ河内作曲。最後のシングル。両面とも解散を意識した旅立ちの歌。B面は森本太郎作曲。
胸いっぱいの悲しみ/沢田研二
1973年。ロンドン録音で、バックはオーケストラが演奏。ワイルド・ワンズの加瀬邦彦作曲。B面はロックン・ロール。
雨の東京/真木ひでと
1979年。元オックスの野口ひでと。演歌。