星は何でも知っている/平尾昌章とオール・スターズ・ワゴン
1958年。ジャケットにSP盤のレコード番号とシングル盤のレコード番号の両方を載せている。このころはSP盤も同時発売だったんだろうか。ロカビリー3大男の1人。大ヒット曲。
黄色いさくらんぼ/スリー・キャッツ
1959年。浜口庫之助作曲。ゴールデン・ハーフがカバー。この時代にしては悩ましい歌い方。
上を向いて歩こう/坂本九
1961年。全米1位。日本ポップスの金字塔。永六輔作詞、中村八大作曲。
山のロザリア/スリー・グレイセス
1961年。戦後のうたごえ運動から出てきた歌。うたごえ喫茶ではロシア民謡が数多く歌われた。女性の合唱曲ならこの曲が有名。アメリカのガールズ・ポップに対応する日本のグループとしてこのグループを挙げる人もいるが、それはちょっと異質なんじゃないかと思う。
刃傷松の廊下/真山一郎
1961年。三波春夫、村田英雄らに次ぐ浪曲師のヒット曲。
下町の太陽/倍賞千恵子
1962年。なんか印象に残る曲ですね。
遠くへ行きたい/ジェリー藤尾
1962年。永六輔作詞、中村八大作曲。
こんにちは赤ちゃん/梓みちよ
1963年。レコード大賞。有名な赤ちゃん曲。永六輔作詞、中村八大作曲。
浪曲子守唄/一節太郎
1963年。60年代の日本の歌謡界は村田英雄、三波春夫など、浪曲出身の歌手をよく取り込んでいる。A面は浪曲、B面は歌謡曲。
馬鹿は死んでも直らない/植木等
1964年。植木等はフランキー堺のバンド、シティ・スリッカーズにギターで加入。その後ハナ肇とクレイジー・キャッツのメンバーとなる。ジャケットは1983年の再発盤。
愛と死をみつめて/青山和子
1964年。一年に4回も放送された同名テレビ・ドラマの主題歌。テレビドラマの闘病物のジャンルを開拓した。
お座敷小唄/和田弘とマヒナ・スターズ・松尾和子
1964年。250万枚売れたというが、花街のお座敷文化は60年代後半には急速に衰える。歌詞の日本語に矛盾を含んだままヒットしていることも有名。
リンデンバウムの歌/梓みちよ
1964年。リンデンバウムは菩提樹。ドイツが舞台の音楽劇「若きハイデルベルヒ」の主題歌。
女心の唄/バーブ佐竹
1965年。不細工歌手の代表のように言われるのはかわいそうだ。
ヨイトマケの唄/丸山明宏
1965年。日雇い労働者が故郷の母を思いながら頑張るという感動をよぶ歌。詩が多くの人の心を揺さぶっている。名曲。
あの娘と僕(スイム・スイム・スイム)/橋幸夫
1965年。吉田正作曲。橋幸夫は64年から新しいリズムを導入した歌謡曲を次々と出す。第一弾がサーフィンの「恋をするなら」、第二弾がホット・ロッドの「ゼッケンNo.1スタートだ」、第三弾がスイムのこの曲、第四弾がアメリアッチの「恋のメキシカン・ロック」だ。
続お座敷小唄/和田弘とマヒナ・スターズ・松平直樹・松尾和子
1965年。歌詞も演奏も本編とほとんど同じ。
まつのき小唄/二宮ゆき子
1965年。戦前からあった日本のお座敷文化が60年代後半には廃れるが、歌謡曲でもこの曲を最後にお座敷ソングが消える。B面の「ウルトラCでやりましょう」は前年の東京五輪で流行語になった「ウルトラC」を使っている。
遺憾に存じます/植木等
1965年。バックバンドは寺内タケシとブルー・ジーンズ。サウンドはエレキ。B面はハナ肇とクレイジー・キャッツがコーラス。
涙の太陽/エミー・ジャクソン
1965年。日本人だが英語で歌っている。洋楽であることにこだわったらしく、レーベルも洋楽。
恋の花/瀬川洋一とザ・クール・キャッツ
1966年。ビートルズの「プリーズ・プリーズ・ミー」をカバーし、あまりにもドメスティックだった東京ビートルズよりはうまいことをアピール。
星影のワルツ/千昌夫
1966年。有線から火がつくヒット曲というのがある。八代亜紀の「舟唄」などはその代表。「星影のワルツ」は有線ヒットの先駆け。
夕陽は赤く/加山雄三
1966年。60年代半ばのエレキブームの代表的ソロアーティストだった。バンドの音を1人で全て演奏することができるマルチ奏者でもあった。「蒼い星くず」がA面で、バックは寺内タケシとブルー・ジーンズ。「夕陽は赤く」のバックはランチャーズ。
君といつまでも/加山雄三
1966年。エレキ・ブームのころ「弾厚作」の名前で作曲、セリフ入りのこの曲が大ヒット。A面のバックはランチャーズ、B面は寺内タケシとブルー・ジーンズ。
今夜は踊ろう/荒木一郎
1966年。初期フォーク(カレッジ・フォーク)の時代に「空に星があるように」でデビューした。
世界は二人のために/佐良直美
1967年。紅白の司会を何度もやった人。
幻のアマリリア/加山雄三
1967年。バックの演奏はハプニングス・フォー。
名なし草/橋幸夫とザ・フレッシュメン
1967年。この時期でこのサウンドならば、青春歌謡になるのだろう。バンド風の音ではない。
恋のフーガ/ザ・ピーナッツ
1967年。代表曲。「追いかけて追いかけて」の出だしが有名。
小指の想い出/伊東ゆかり
1967年。60年代の若い女性歌手と70年代のアイドルを比較するときによく取り上げられる曲。
恋のハレルヤ/黛ジュン
1967年。GS歌謡の代表。バックの演奏はブラック・ストーンズだとされているが、本当かどうかは分からないという。
今日でお別れ/菅原洋一
1967年。送別会をするときによくこの歌を歌う人がいた。レコード大賞。
好きになった人/都はるみ
1968年。「さようなら、さようなら、元気でいてね」という歌い出しが有名。演歌だがサイケな色使いのジャケットがいい。
太陽は泣いている/いしだあゆみ
1968年。「ブルー・ライト・ヨコハマ」の前の曲。ジャケットが好きです。筒美京平作曲。
グッド・ナイト・ベイビー/キング・トーンズ
1968年。和製R&Bのスタンダード。オリコン2位。「煙が目にしみる」は本家並みにうまい。
ゆうべの秘密/小川知子
1968年。デビュー曲。伊東ゆかりの「小指の想い出」とともに60年代型女性歌手として例に出される。
不思議な太陽/黛ジュン
1969年。エレキギターが中心のGS歌謡。ホーンセクションとパーカッションが入っている。B面は歌謡曲で、演奏も普通のオーケストラ。
オー・チン・チン/ハニー・ナイツ
1969年。A面は男性器について、B面は18歳の男性と12、3歳の女性の愛について歌う。ハニー・ナイツは男声コーラスグループ。
宮本武蔵/ドンキー・カルテット
1969年。小野ヤスシを中心とするグループ。小野ヤスシはドリフターズのメンバーだったが1969年にTV番組に出演する前に脱退。サウンドはカントリーもしくはブルーグラス。
禁じられた恋/森山良子
1969年。オリコン1位。森山良子の代表曲は「この広い野原いっぱい」。
山羊にひかれて/カルメン・マキ
1969年。寺山修司作詞。カルメン・マキは寺山修司のアングラ劇団「天井桟敷」の女優。カレッジ・フォーク的サウンド。
夜明けのスキャット/由紀さおり
1969年。デビュー曲。ベールに包まれたような色気をボーカルで表現できる人。
みんな夢の中/高田恭子
1969年。もともとフォークの人だったらしいが、カンツォーネで実力をつけ、デビュー。20歳にしては古風な歌い方。浜口庫之助作曲。B面はグループ・サウンズ調。
国際線待合室/青江三奈
1969年。最後の大ヒット。故人。イントロに空港の案内放送、エンディングに飛行機のエンジン音が入る。空港は伊丹空港らしい。
悲しみは駆け足でやってくる/アン真理子
1969年。かなりまじめに歌詞の盗作疑惑が議論されたが、歌詞は鋭い視点で書かれている。
夜と朝のあいだに/ピーター
1969年。中性的な容姿。かなり売れたのは歌そのものがうまいからか、怖い物見たさからか。俳優、タレントとしての名前は池畑慎之介。